共有ボードの質問への回答

 

 今回のフォーラムでは、講演や分科会毎に、感じた事を付箋に書いて共有ボードに貼れるようにしてあったのですが、西川先生が講演後に貼られていたものについてブログ上で回答をして下さいました。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20110815

 

 西川先生の回答をヒントに、各自にとっての最善は何かを考えて行きましょう!

 

Q:ミッション「1人も見捨てない」「子どもの力を信じる」

A:質問形式ではないので、エールとして受け取らせていただきます。

 

Q:今、大変になっているところからでも実践できるのですか?

A:はい、実践できます。というより、他にないと思います。考えて下さい。その大変な状態をどのように脱しますか?教師一人で出来ますか?出来ませんよね。だから、子どもたちみんなと脱するしかありません。考えて下さい。そのクラスの多くは、今の状態は自分たちに不利であることを理解しています。そして、クラスのオピニオンリーダーは、それをハッキリ意識できるはずです。であれば、その子達にみんなが出来るようになろうと声がけするのが『学び合い』です。大変な状態から『学び合い』をするのは、クラスがよい状態から出発するより大変です。でも、それより他に道はないとは思いませんか?

 

Q:何から始めたらよいですか?

A:出来れば生の『学び合い』を見ることがお勧めです。それがかなわなければ、私や三崎先生の本をお読み下さい。私のHPには各種の資料があります。とりあえずはネットブックの「導入書」をお読み下さい。そして何よりも大事なのは、疑問を持てば知っている人(例えば私に電子メールで)に聞くことです。理解には対話が必要です。子どもと同じです。

 

Q:西川先生の講演の目的は?

A:あははは。主催者からは私のライフヒストリーを30分程度でまとめて欲しいと依頼がありました。

 

Q:Skypeを使う意味は何?必要?

A:今回は十分に活用できたかは疑問があるかもしれませんが、今後活用すると良いと思います。

 

Q:子ども同士の自己評価の方法

◦ 自己評価

▪ 正確な評価ができる。

▪ 生徒の方が厳しい傾向

▪ …とのことでしたが、具体的な自己評価方法が気になりました。評価方法は生徒が考えるのでしょうか?

• 『学び合い』による子どもの自己評価の厳しさを、私も実感しています。彼らの凄さを感じる場面の一つです。

A:詳細は以下をご参照下さい。

中井弘子・水落芳明・桐生徹・神崎弘範・西川純:中学校理科授業における学習者の相互作用による自己評価に関する事例的研究、理科教育学研究、日本理科教育学会、51(1)、93-102

 なお、小学校については杵渕さんの修士論文があります。ようは、指導要領の原文を示し、それに基づく評価をするよう求めるだけのことです。子どもの中には、それが出来る子は2割はいて、その子から広がります。

 

Q:本当に『学び合い』のみで授業が成立するのか。自信がありません。

A:事実として、それで成り立っている人がいます。逆に聞きますが、元気いっぱいの子ども、中にはADHDの子がいるクラスで、子どもたちを1時間、黙って、座らせて、ノートをとらせる授業のみで成立するのですか?あはははは

 

Q:「1人も見捨てない」心に深く残りました。

A:ありがとうございます。

 

Q:『学び合い』とは何ですか?

A:一人も見捨てない、という原初の願いを徹底的に突き詰めた結果です。

 

Q:「全ての子を救う」ということに対して、何を基準に「救った」と言えるのか?

A:一人一人によって救われたいものは違います。しかし、それを教師が分かるわけありません。では、教師は何に注目するか、第一にクラスの最低点だと思います。「救われた」ふりを子どもは出来ます。しかし、テストの点数を上げるふりは出来ません。クラスのひずみは、テストの最低点にまずは現れます。それで救ったとは思いませんが、まずはそこからだと思います。

 

Q:西川先生の「夢」の中に、「全校生徒が体育館で集まって「学び合い」を…」というものがありましたが、全校集会とはちがう形なのでしょうか?具体的に教えていただけると嬉しいです。私も「いいなあ、やってみたいなあ。」と思いました(将来)。

A:全校『学び合い』自体は4年前から実践を積み上げています。現在は複数の学校の全校『学び合い』をやり始めたところです。

 全校集会・運動会のようなものとの違いは、第一に目的が共有しているかです。例えば、全校集会をやっているとき、子どもにこの全校集会の目的は何?と聞いたとき応えられる子どもはどれだけいるでしょうか?おそらく限りなく0だと思います。運動会との違いは定常的にやっていることです。ある学校では、年間の算数は全て全校『学び合い』で実践しました。そして、子どもたちに全校『学び合い』の目的は何?と聞けば、「全員が課題を達成すること」と答えられます。見たければ上越においで下さい。いつでもやっています。

 

Q:失敗談を教えてほしい。

A:私の『学び合い』の手引き書でQ&Aは過去の失敗事例とお考え下さい。なお、「はてな」の『学び合い』グループ(私のブログからリンクされています)を読めば、どんなことに悩み乗り越えているか、リアルタイムで読めます。もちろん、私もです。偉そうに言っていますが、私自身も自分のゼミでは失敗をします。それはブログで書いています。

 

Q:子どもの自己評価の具体的な項目、やり方を教えていただきたいです。

A:先に紹介した自己評価関係の文献をお読み下さい。なお、私にメールいただければ対応いたします。

 

Q:子どもたちが「つながりたい」「つながれる」と信じて、私も「学び合い」を始めたいです。

A:是非。『学び合い』で一番難しいのは「やる」と決意すること。やれば、それほど難しくはないですよ(ただし、何でも同じですが、簡単だというわけではありません)

 

Q:共感>研究授業の検討会は子どもたちに問いかけた方がおもしろい。

A:考えれば当たり前だと思うのです。ね。

 

Q:クラス全体に、教えるために勉強するまで追い込んでいいのか?

A:はい、それは教える側の子どもにとっても重要なことだと思います。なぜなら、『学び合い』はテストの点数を上げることを目的としているわけではありません。大人になってから大事なことを学ぶことを目的としています。100点を取ることを目的としているのだったら、それほど追い込む必要はありません。しかし、彼らが大人になったとき頼れる仲間を得ることは重要だと思うのです。

 

Q:もっと学びたい。

A:是非、たたけよさらば開かれん、求めよさらば与えられん。

 

Q:課題のあることない子との

A:すみません、質問の意味が分かりません。メールいただければお応えします。

 

Q:Pとの関係

A:すみません、質問の意味が分かりません。メールいただければお応えします。

 

Q:全員が分かるようにするのは、教師の仕事(子どもではない)のでは?

A:はい。そう思います。一人一人が分かるためには、その子にあった支援が必要です。ところが、一人の教師では物理的に不可能です。だって、一校時ごとに支援が必要があり、一校時をクラスの人数で割れば、その時間で支援は不可能であることは明らかにです。だから、『学び合い』では教師が教えるのではなく、クラス全員が支え合う集団づくりにエネルギーを費やしています。それが教師の仕事だと思うのです。

 

Q:どうでもいいけどどうしてみんな(共有ボードに)端から貼っていくんだろう。もったいない…。

A:あははは。それは社会心理学のパーソナルスペースの項をお読みなるとヒントがあると思います。

 

Q:「子どもが全て運営する研究会」実現したら素敵ですよね。

A:ほぼそれに近い実践をしている中学校はありますよ。とても素敵です。なお、方法は子どもに任せますが、目標の設定と評価は、教師の専権事項だと思います。

 

Q:研究主題を子どもに伝えることはすごく有効だと思います。今度子どもたちに話してみます。

A:是非。少なくともそれで失うものは殆ど無いはずです。

 

Q:「1人も見捨てない」この考えがクラス全体に浸透することが、『学び合い』がよく成り立つのだと感じました。

A:はい。それで一貫した行動を教師がするのですから浸透します。

 

Q:「1人も見捨てない」ということを忘れてはいけないことを、改めて強く思いました。

A:はい。それは道徳の徳目ではなく、実利的な得なのだと思います。だから続くのです。

 

Q:分かっている子(分かる子)がいるという前提で成り立つように思うのですが、塾などで先取り学習をしていない子が多数派であるグループでも成り立つのでしょうか?

A:はい、0でなければなりたちます。おそらく日本の殆どで成り立ちます。例外は僻地小規模校で同級生が数人という場合があります。その場合は、異学年学習を定常化すればよいのです。

 

Q:「少し分かる子」が少し、大多数が「分からない」場合は?

A:上記と同じです。

 

Q:仰っていた「荒れた学校(分からない子がほとんど)」でも可能?

A:可能です。学力低位の高校で成立させた事例を持っています。しかし、先に述べたように、あれた学校で始めるのは大変ですが、『学び合い』以外に出来るかを考えて下さい。おそらく、カリスマ教師や怖い教師の前ではよい子になります。しかし、そうでない教師の前でしわ寄せが来ます。そして、その教師が「力のない教師」と攻められます。なによりも、古典的な社会心理学の研究が成果が示すように、そういう学校ではいじめが発生します。つまり、見栄えは良くなっても、実態を悪化させるのです。

Lewin,K.,Lippitt,R. & White,R.K., Patterns of aggressive behavior in experimentally created “social climates”, Journal of Social Psychology, 10, 1939, pp.271-299

 

Q:あらかじめ分かってる訳じゃなくて、その場で分かるかどうかってことじゃないですかね。

A:そういう場合もありますが、日本の現状では、学校でやっている中の下に合わせた授業レベルを答えられる子は2割はいます。そういう国に育っています。現状の一斉学習が生まれた明治当初の状況とは違います。このあたりの詳細は私のHPに公開しているネットブックの手引き書に書いています。

 

Q:学び合う集団づくりの意味は分かるが、「①塾やベネッセで下積みがある」「②補習するでなく、集団で全員が分かる」この2点についてはハードルが高すぎて、もっと実践例を知りたいと思っています。

A:あははは。これが成り立ってないクラスは僻地小規模校以外無いですよ。試しに、授業をする前に、単元テストをされると良いですよ。2割以上は約8割の点数をとるはずです。

 

Q:学ぶ構えのない子どもに対し、どのような形でスイッチを入れるのか?学び合いとの関わりで、どのように変えていけるのか?

A:その子達にとって学習でスイッチは入りません。入るとしたらクラスの人間関係です。だから一人も見捨てずということがスイッチになるのです。

 

Q:「分かった!」と言うことがどういうことか分からない子どもたちに、「本当に分かった!」というレベルに達するまでのプロセスを見てみたいなあと思っています。

A:長いプロセスです。それを本気で見るならば上越教育大学の西川ゼミにおいで下さい。いやっていうほど、膨大な子どもたちのつぶやき・行動を通して学べます。結論から言えば、エポックメーキングな行動ではなく、馬鹿馬鹿しいほど普通の行動が、気の遠くなるほどの積み上げによって出来上がることが分かります。だからほど、本当に分かるためには、気の遠くなるほどの子どもたちのつぶやき・行動を見るしかないのです。

 

Q:子どもたちのモチベーションはどうやって高める?少しずつ「ぼくたちはできる!」という体験を積み重ねる?

A:最初は、単純に黙って座っている授業より楽しい、から始まります。でも、もっと上を目指すには、本気で一人も見捨てないことしかないことが分かるのです。ま、「クラブ」の野球クラブが「部」の野球部になり、甲子園を目指せる野球部になる過程を想像下さい。

 

Q:「これがクラス全員で目指し達成できた『学び合い』だっ!」と生徒達が実感できる体験をさせたい。それができないと、生徒が動かない…。

A:それはいきなりは無理です。上記の通りの積み上げが必要です。しかし、そこで必要になるのは段階にあった指導プロセスではなく、一貫した「一人も見捨てず」という教師のスタンスです。

 

Q:日本の学校だと人間関係の部分は、教科学習以外にも学べるところがたくさんあると思う(文化祭なり体育祭なり)。勉強までみんな「同じ目標」にするのは疑問。できない子にはよいのだろうが、できる子はどうなる?

A:私はそう思いません。日本の学校の「全て」の子どもが今日学習以外で学べるとは思いません。『学び合い』は一人も見捨てずにです。なお、出来る子が出来ない子を教えるという枠組みで考えるならば出来る子はメリットはありません。しかし、『学び合い』はそうではありません。折り合いを付けて自らの課題を解決することです。ちなみに『学び合い』を一番強く支持するのは、出来る子です。なぜなら、それが自分にとってメリットがあることをもっとも深く理解しているのは彼らですから。そのあたりは、私のHPのネットブックの手引き書をご覧下さい。絶版した「勉強しなさい!を言わない授業」には詳細があります。

 

Q:「学力向上と人間関係は表裏一体である!」と言い切ろう!「勉強するってかっこいい」と思う集団を形成しよう!

A:はい。そう言い切ることの方が、かけ算の繰り上がりを教えるより、はるかに教師の仕事だと思います。前者は教師だけが出来ることです。

 

Q:「学びの共同体」と『学び合い』との違い、あるいは同じところ。

A:最も質問される回数の多い質問の一つです。以下をご参照下さい。http://bit.ly/lSGq8w

 

Q:教師の必要性、役割。

A:一人も見捨てるな、と言い続けることが教師の仕事です。経営学のリッカートを読むと分かると思うのですが、管理職には上級管理職と下級管理職がいます。前者が社長や取締役で後者が係長・主任があたります。後者は部下と同じような仕事をしつつ管理職の役を一部行い、前者は管理職の仕事に専念します。後者は、部下が行っていること(学校の場合、漢字の書き取り、かけ算の速さ)の知識・技能の高さが業績に比例します。しかし、前者の場合は、その相関はほとんどみられません。前者に必要な職能とは、集団の達成すべき課題を部下がやる気になるような語りを出来るか否かなんです。また、人からいやがられても、評価を行い、駄目ならば駄目という能力です。学校で言えば、先輩教師と校長の違いと考えればいいでしょう。従来の授業における教師の役割は下級管理職であり、『学び合い』における教師の役割は上級管理職です。

 

Q:教師の役割がイマイチピンと来なかった。いいなあと思う未来は見えたと思う。

A:役割は上記の通りです。

 

Q:他の先生から「場のシメ方」を学ぶ、と言う話。『学び合い』は単に放任しているだけじゃないことが分かった。その塩梅が難しそう。

A:塩梅はあればあったに超したことはありませんが、必須ではありません。重要なのは、一貫して求め続けるか否かです。どんな塩梅をしても、それにフィットする子どもはいるし、フィットしない子どももいます。集団の利害に一致する占め方(一人も見捨てずに)なれば、集団のメンバーの中で納得させあいます。ま、一般論ですが、昔から言われることですが、一つしっかり叱るためには十褒めねばなりません。駄目なところに目を奪われるのではなく、良いところに目を向けることが大事です。

 

Q:子どもの持っている力を信じるというのは、簡単そうで難しい。『学び合い』で教師はどんな役割で、何をして、何をしてはいけないんだろう?分からなくなってきました。

A:子ども個人を信じる必要はありませんし、してはいけません。するとその子に「ミニ教師」を押しつけて負担を負わせることになります。我々が信じるべきは子ども集団です。最初はクラスの2割程度の子ども集団が動いてくれます。しかし、それが4週間程度で6割になり、3ヶ月程度で8割になり、そして1年かけて十割の子どもを信じればいいのです。少なくとも、自分一人を信じるよりは、信じられますよ。少なくとも私は2割の子ども以上のことが出来るとは自分を評価していません。だから、少なくとも「まし」と信じています。

 

Q:昔の教え子(暴走族?)達が、今の西川先生の主張を聞いたら、なんて言うかなあ…?

A:それは自信がありません。でも、彼らの前に教師として前に立つとしたら、『学び合い』以上のものは無いと思いません。少なくともかってやった、面白くて、分かったつもりにさせる授業の結果として生まれるものをよく知っていますから。

 

Q:ミッションを課すこと(課された課題を解決すること)から、課題・目的(ゴール)を自ら見つけることへは、大きな飛躍が必要な気がしますが?

A:個人としては大きな飛躍ですが、集団としてはなめらかな変化です。ある程度成長したクラス(まあ、3ヶ月ぐらい、純『学び合い』を実践したクラス)だったら、かなり無茶な要求もこなしますよ。というのは、それをこなせる子が数人いれば、集団の力をその方向に向けられますから。

 

Q:「話を聞こうとする態度」と「構え」はどう違うのか?コンテンツとミッションの違いですか?受け身とインタラクティブな授業の違いですか?楽しそうだなという思いは共通ですね。

A:態度と構えは、ま、同じ意味と考えて下さい。強いて言えば、構えの方が学術用語の縛りがないので広い意味で使えます。ただし、『学び合い』は相互作用を目的としているのではなく、結果として相互作用的になります。あくまでも目的は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することを学ぶことですから。なお、『学び合い』は楽しいのは最初です。最後は大変です。ま、炎天下の中で校庭を走っている野球部を思い出して下さい。炎天下で校庭を走ることは楽しくありません。しかし、その意味が分かれば、やります。

 

Q:『学び合い』は技能教科では想像しやすいけど、算数や理科などでは「1人も見捨てない」状況を作り出す環境はどのようなものなのだろうかと、とても興味が湧きました。

A:小中高の全教科は基本的に技能教科だと思います。そして、どの教科も大学の専門レベルを超えれば技能を超えます。でも、いずれにせよ、我々は課題を解決する際、最大の「ツール」は人です。

 

Q:『学び合い』が成立しやすい教科や単元があると思うのですが。全ての授業できちんと成立するものなのでしょうか?

A:教師が入りやすい教科はあるかもしれませんが、子どもにとって成立しやすい教科はありません。全部成立しやすい。だって、黙って黒板を写す授業より分かりやすいし、楽しいですから。そして、全ての教科で実績がありますよ。

 

Q:管理職の強い意志がないと難しいと感じています。

A:管理職が意志を持っていただければやりやすい。でも、それは必須ではありません。管理職に望むのは反対しないで欲しい、それだけです。重要なのは、その学校の職員集団の中で一定数の教師から「徳」があると思われる教師を含む3人が『学び合い』に取り組もうと思っているか否かです。それが出来るか否かが学校で取り組む場合の大きな山です。それを成り立たせるためには、職員集団の中で折り合いを付けることと、結果です。

 逆に、管理職がどんなに求めても、「徳」のある教師を説得できないならば、無理です。

 

Q:保護者への理解は得られるのでしょうか?

A:基本的にはちゃんとした理解のプロセスを行い、結果を出せば理解してもらえます。その詳細は、私のHPに公開しています、導入書の後半に書いてあります。ポイントは、一人の保護者からクレームが出たとたんにおたおたするぐらいだったら、ちゃんと事前に布石を置くと言うことです。

 

Q:中学校の教科担任制だと、クラスによって、学年によって『学び合い』が成り立ちにくいことがある。どうしたらいいのか。今の悩みです。

A:そんなことはありません。子どもは教師ごとにその姿を変えます。『学び合い』が成立する時間は小学校も中高の変わりありません。子どもが変わる時間ではなく、教師の替わる時間なのです。

 中学校での問題は、中学校の学年意識です。学年主任が強制的だと横並びを要求する場合があります。その場合は、したたかにやって下さい。でも、一度、理解されれば中学校の方が学年意識があるので広がるのは楽ですよ。だって、あなたが国語で『学び合い』を成立させれば、それは学年全員が『学び合い』で何が求められるかを子どもは経験しているのです。ですので、数学の先生が『学び合い』をやりたいというならば、その先生の授業であなたが数学をすればいいのです。課題は数学の先生と相談して決めて下さい。おそらく子どもは「先生、なんでいるの今は数学だよ」と言うかもしれません。でも、「今日は私が数学を教える。では、本日の課題は○○だ。いつも通りの『学び合い』で良い。絶対に一人も見捨てるな。どうぞ」と言えば、『学び合い』が成立します。「国語では『学び合い』は成立するけど、数学では難しい」と言っている数学の先生に対する証拠は、一目瞭然です。

 

Q:年齢の違いでの『学び合い』は、知っていることに大きな幅がある場の『学び合い』はどんな感じなの?

A:以前、そのような研究をしました。でも、結論から言えば、それは本質的ではありませんでした。大事なのは教師のスタンスでした。

古田豊、西川純(2001.9):小学校理科学習における『学び合い』の発達に関する研究、話し合いケースに着目して、日本教科教育学会誌、24(2)、日本教科教育学会、11-20

 

Q:『学び合い』を始めるにあたって、小1~6と段階があると思うのですが、どういった段階を踏んでいくとよいのか。そのあたりについて聞いてみたいと思います。よろしくお願いします。

A:上記の通りです。殆ど段階を踏む必要はありません。まあ、低学年での「喧嘩」の対応策程度です。詳細は、私のHPに公開している、導入書をお読み下さい。

 

Q:特別支援学級内でも『学び合い』は可能か?一般級と同じやり方でよい?

A:殆ど同じです。ただ配慮がいる場合もあります。

 特別支援学級の子どもの中には、『学び合い』においては通常学級で学んで問題が無く、中には100点を取れる子どももいます。それらの子どもは、疲れている担任から特別支援に追いやられた子どもたちです。おそらく特別支援学級の半数以上がその子達です。ちなみに私は小学校3年までは知恵遅れと担任に思われていました。その子の場合は、通常学級が『学び合い』が成立したら、いつでも戻すことが出来ます。

 しかし、ごく一部ですが、本当に能力的に障害のある子がいます。その子の場合は、常に通常学級で学ぶのは疲れてしまいます。しかし、その子も社会に出なければなりません。そこには特別支援の人はいません。その子は、通常学級の子どもと折り合いを付けることを学ぶ必要があります。だから、通常学級と特別支援学級とを並行しなければなりません。その塩梅は、その子に合わせるしかありません。

 きつい一言ですが、もし、その子を特別支援学級でずっと学ばせていたら、その子は社会に出る勉強をいつするのでしょうか?このことを考えながら、バランスをとって下さいい。

 

Q:多動で教室を出て行く子がいる学級で、その子も入れて『学び合う』ことは可能でしょうか?

A:あはははは。そのタイプの子どもが一番楽です。だって、『学び合い』だと全員が多動状態になるのです。だから、その子が目立たなくなります。おそらく1週間以内に問題が解決します。その場合、クラスに語るべきは「静かにしなさい」ではなく「動いて良いのよ。でも、みんなが出来るために全力を出しなさい」と。


 以上、準備委員会よりいただいたポストイットは以上でした。時間の関係で短いコメントですが、分からなかったら場合は、いつでもメール下さい。誠意を持って回答します。